大判例

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津地方裁判所 昭和53年(ワ)183号 判決 1985年3月28日

原告 有限会社 大洋モータース

右代表者取締役 長谷部一雄

<ほか一名>

原告ら訴訟代理人弁護士 岡力

同 杉本雅俊

原告ら訴訟復代理人弁護士 今井正彦

被告 三重県

右代表者知事 田川亮三

右訴訟代理人弁護士 吉住慶之助

右指定代理人 渡辺定

<ほか三名>

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告有限会社大洋モータースに対し金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五三年一一月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告長谷部一雄に対し金三〇〇万円及びこれに対する昭和五三年一一月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告有限会社大洋モータース(以下、原告会社という)は、原告長谷部一雄(以下、原告長谷部という)が「大洋モータース」なる商号で経営していた個人企業を、昭和三七年二月一日に資本金八〇万円の有限会社組織に変え、その代表取締役に就任して現在に至っているものであり、原告会社は昭和四七年三月一九日には名古屋陸運局長から道路運送車両法所定の指定自動車整備事業(いわゆる民間車検工場)の指定を受けた。

そして、原告長谷部は代表取締役として原告会社を経営するほか、昭和五〇年当時、三重県自動車整備振興会理事、同経営委員、三重県自動車商工組合理事、鈴鹿自動車興業組合副会長、鈴鹿自動車協同組合専務理事に就任していた。

2  昭和五〇年八月二日午前一一時三〇分頃、三重県一志郡白山町大原地内道路上で普通貨物自動車(三11さ二九〇九。以下、本件車両という)が谷川に転落し、運転者(大道将之)が死亡した交通事故(以下、本件事故という)が発生したが、右事故につき所轄の被告三重県久居警察署が一応の捜査を遂げた同年一一月八日、三重県警察本部警察記者クラブにおいて三重県警察本部交通指導課長及び同課担当課長補佐が、また久居警察署事務室において久居警察署次長及び同署交通課長が、それぞれ新聞記者に対して、

(一) 本件事故の概要及びその発生原因がブレーキ故障であったこと、

(二) 本件事故の原因は本件車両のホイールシリンダが摩耗しており、該ホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出たためにブレーキが効かなくなったためであること、

(三) 右捜査によって、本件事故発生の三か月前に原告会社が本件車両に対して行った車両検査において手抜きをした事実が明白になったこと、

(四) このため原告会社を道路運送車両法違反の容疑で、原告長谷部一雄及び原告会社自動車検査員岡敏夫を虚偽公文書作成罪、道路運送車両法違反及び業務上過失致死罪の容疑で取調べていること、

(五) 民間車検制度のあらまし及び県下における指定工場の実態、

(六) このたびの検挙を機に今後徹底した捜査を実施していく方針であること、

を発表した(以下、本件警察発表という)。

3  しかし、本件警察発表中、原告会社が本件車両につき手抜き車検をした旨及び本件事故の原因が摩耗したホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出た結果ブレーキが効かなくなったためである旨の発表は、事実に反するものである。

(一) 警察が本件事故原因を「摩耗したホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出たためブレーキが効かなくなったもの」と認定した根拠は、昭和五〇年一〇月一一日付三重県警察本部刑事部鑑識課犯罪科学研究室研究員中津章作成にかかる鑑定書の「資料は左後輪のホイールシリンダー及びピストンカップに損傷が認められる。この場合ブレーキペダルの踏み込みを繰り返すと、徐々にブレーキ液がホイールシリンダーから流出し、その為にブレーキ液が減じ、加圧出来なくなると制動効果が全くなくなるものである。」との鑑定結果に基づくものであるが、右中津章の鑑定(以下、中津鑑定という)はその資格、鑑定方法及び鑑定結果すべての点において、次に述べる問題点に鑑みるとき、本件事故原因の真相解明に役立つものではないというべきである。

(1) 中津章の鑑定人資格について

中津章の自動車整備技能者手帳原簿によれば、同人は昭和五〇年一〇月三日三級自動車シャシ、ガソリンエンジンの自動車整備技術講習所を修了し、同年一二月一〇日に整備士の資格を取得している。また同人の自動車整備技術講習申込書によれば、自動車整備に関する経歴欄において、津市高茶屋小森町字大塚三四八五所在の三重県警察車両整備工場に昭和四八年四月一日から昭和五〇年三月二八日まで二年間四輪、二輪、軽を経験した旨の記載がある。これは講習資格として最低一年間の修理の実務経験を必要とするためである。しかし、右工場勤務中であったはずの昭和四八年一一月一〇日現在における三重県警察職員録(あさあけ別冊附録)によれば、同人は鑑識課理化学係に在籍しており整備工場に勤務していたという証拠はなく、また当方の調査においても同人が整備工場等に勤務し実務経験をしたという事実のないことが判明している。

また、中津鑑定は昭和五〇年八月七日に着手され同年一〇月九日に終了しているが、これによれば未だ自動車整備技術講習を受講前若しくは受講中に鑑定していたものであり、未だ三級整備士の資格を取得していなかった時点での鑑定ということになる。

以上のとおり、中津鑑定は、何等実務経験のない者がその経歴を偽って資格を取得し、しかも本件鑑定中はその資格もなかったというものであって、鑑定人としての資格、能力の面において著しい疑問があるというべきである。

(2) 鑑定方法について

中津鑑定において、本件車両左後輪に関し中津章の行なった観察は、

① 開検前のブレーキ部分全体の見分→油状物附着

② 開検後ブレーキドラム全体の見分→油状物附着

③ オイルシールの見分→グリース液状化

④ ホイールシリンダのブーツ部分の見分→ブレーキ液附着

⑤ ホイールシリンダの接触検査並びに見分→摺動面がざらざらで錆の出ている状態(部分は明示していない)

⑥ ピストンカップの見分→摺動方向の傷が凹側先端部にある。

以上の見分接触検査によって、シリンダ及びピストンカップの状態はブレーキオイルが加圧されれば当然ブレーキオイルが流出されると考察されると結論付けている。しかしながらブレーキ故障と一口にいっても、その発生原因としては、機能的な面――製造上の欠陥、整備上の欠陥――人為的な面――車両取扱上の良否、運行上の諸問題、使用条件、運転条件、運転能力とに分けられる。したがって、鑑定をする以上は右発生原因を個別に探究すべきことは当然であり、また機能的な面でのみ捉えるとしてもホイールシリンダからの油漏れはパイプラインの残圧が失われたときも油漏れを生じる結果となるのであるから、事故と同時にパイプラインの損傷、マスターシリンダのチェックバルブの良否等についても確認すべき必要があり、更にハイドロマスターについても分解の上ブレーキ液の有無またはハイドロマスターパワーシリンダ内のブレーキ液の漏出、ハイドロシリンダ内のブレーキ液の有無についても点検する必要がある。また、グリースの流出やグリース液の流出は一時に流出するものではなく、時間的に長時間を要するというのが整備上の一般常識であり、また一度に流出するものであればバックプレートやデスクホイールが部分的に破損されるということも整備上の常識である。仮に本件事故が前者の場合であるとすれば、通常運転手は運転中にその徴候を察することができ「急にブレーキが不能となる」ことはない筈である。本件事故の場合「急にブレーキがきかなくなった」のであって、しかも急坂でのブレーキ使用頻度の高い事例であることからすれば、いわゆるベーパーロック現象をもその発生原因として当然考慮すべきものである。

以上述べたごとく、ブレーキ故障といっても種々の発生原因が考えられるから、考えられる各発生原因を個別に検討すべきであることは当然であるが、機能的な面に限定しても、発生原因ごとに問題となる箇所を調査、検討すべきであるのに、鑑定人中津章は単にホイールシリンダを手で触っただけで鑑定の結論を出しているのである。同鑑定人がしたような調査のみでは、複雑な発生原因を探究することは全く不可能であって、中津鑑定は本件事故原因鑑定のために最低限要求されるべき観察・検査が全くなされていない粗雑な鑑定というべきである。

(3) 鑑定結果について

本件事故車両であるマツダボクサー型式EYA44車台番号一四七八三に装着されていたリヤーブレーキとホイールシリンダアッセンブリー(部品番号〇七二七―二六―六一〇)について、昭和五一年一月一三日、一四日広島県安芸郡府中町新地三番一号東洋工業株式会社内品質管理部工機検査課、同実験研究部において精密検査及び実験を行なった結果では、「ダストブーツ内への油漏れは無かった」のであって、本件事故発生原因として中津章が挙げた「ホイールシリンダーの摩耗によるものである」との結論は何ら証明されなかったのである。

また、中津鑑定によれば、ホイールシリンダ内部及びカップのリップ部に損傷があったとのことであるが、中津証言によると右の損傷は視覚、触覚による認定であり、その部位も特定出来ないものでその精密測定・精密検査すら行われていないのであって、その損傷が摺動部(ピストンの摺動部以外の部分に損傷が存したとしても、油漏れとは無関係である)にあったかどうかさえ確定できないのである。結局、中津鑑定は「オイル漏れがあった」ことを前提とし、この事実に誘導されているもので、タイヤのトレッドの摩耗状況等をも含めて本件事故全体に対する観察の視点に欠けており、オイル漏れという結果からその原因を損傷に求めたに過ぎず、ベーパーロック発生の可能性を全く考慮せず、オイル漏れの事実にだけ着目した、科学的根拠を有しない鑑定といわざるをえない。中津鑑定のいうホイールシリンダからのオイル漏れがブレーキ不作動の原因と結論するためには、少くとも本件の場合、オイル漏れ実験(結果的には、東洋工業でしたがオイル漏れはなかった)、オイルの分析(ベーパーロックの発生を考慮しなければならないから)を要することは当然であり、右諸点を検討することなく、損傷とオイル漏れを素人的判断で短絡して結論した中津鑑定は鑑定として余りにも杜撰に過ぎるというべきである。中津鑑定が本当にベーパーロック発生の可能性を考慮に入れて鑑定の結論を出したのであれば、本件車両の走行した道路の地理的条件を確知し、ブレーキオイルの分析をしなければならないのに、それら必要事項を調査検討した形跡が全くないから、中津鑑定はベーパーロック発生の可能性についての検討を全くせずに結論を出したものと考えられる。

(二) 本件事故は、炎天下の舗装道路の長距離を四屯の積荷を積載して、蛇行した下り勾配の山道を運転したことによる著しい頻度のブレーキ使用によって、ブレーキオイルの異常高温がもたらされ、その結果ベーパーロックないしベーパーロック直前の状況を招来し、制動機能に異常が生じたために生じたものである。すなわち、本件車両は津市内の出発点から事故現場までの三七・五キロメートルの距離を一屯のクレーンと三屯の石材を積載して、真夏の炎天下、舗装道路を走行したものであるから車両自体異常な高熱の状態にあった。そして、青山高原水道小屋から事故現場までの道路は急激な下り勾配と蛇行した山道であって、四四か所の曲り角を有している。したがって、四屯の荷重を積載していた本件車両は頻繁にブレーキを使用したことは当然であり、しかも本件車両は第二速で走行していたのであるからブレーキ系統の諸機器は著しい高熱を帯びていたことは明らかである。本件事故発生直前、本件車両の運転者大道将之は同乗者に対し「ブレーキの効きが悪くなってきた。危いからあんたたちは車から降りてくれ。」と言っており、飛び降りた浅生俊二は転倒もせず、浅生俊二の供述によれば時速一五キロメートル程度の速度であったと認められるから、ブレーキは全く効かない状態ではなく、運転者がブレーキの「効き」が悪くなったことを直感したものであり、時速一五キロメートルの速度もこれを示している。他方、本件事故前に本件車両を常時運転していた服部兵次の供述によれば、本件車両は山梨県の南部町、愛知県の鳳来町の山奥まで石材運搬のために運行されていたが、全く異常もなく運転されていたものであり、本件事故がホイールシリンダからのブレーキオイル漏れに基因するものであれば、右服部が運転していた段階で異常があったはずである。

ベーパーロックの現象は、高熱によりブレーキオイルに気泡が生じ、ブレーキペダルを踏んでも制動圧が出ない状態をいうが、ブレーキオイルに水分が混入することにより沸点が低下し、ベーパーロック現象を生じ易くなるほか、各種の実験資料が示すとおりベーパーロックはホイールシリンダ、ブレーキドラム等ブレーキオイルに熱伝導の生じ易い機器の温度と密接な関係を有し、気温、路面からの輻射熱、高頻度のブレーキ使用によるブレーキドラムの温度上昇にその発生が条件づけられている。したがって本件事故の如く、①梅雨期直後の季節で梅雨期の水分がブレーキオイルに混入した蓋然性が高く、②八月初旬の炎天下の走行、③事故発生直前までの道路状況(カーブの多い下り坂)から当然生ずる著しい頻度のブレーキ使用と車両の速度(第二速)、この全てがベーパーロック現象の発生を条件づけている。奥田順康の供述によれば、奥田自身、本件事故当日、現場でベーパーロックを経験し、本件事故がベーパーロックではないかとの意見を警察官に申立てているのみならず、岡田直藏も同様の経験を有している。ベーパーロックといっても、ブレーキオイルが沸点に至るや一瞬にして制動圧を完全に失うというものではないのは当然であって、同乗者浅生父子は運転者から「ブレーキの効きが悪くなってきて危いからあんたたちは車から降りてくれ」と言われ無事に飛び降りているから、この時点では制動効果は残っていたと認められるが、中津鑑定・中津証人の見解によるブレーキオイルの残量からすれば、この時点で全く制動効果はなくなっていたはずであるから、中津鑑定・中津証言の誤りがこの点からも明らかとなるというべきである。また、《証拠省略》によれば、本件事故発生道路を通行する車両は全てエンジンブレーキを併用しているところ、同乗者浅生寅雄の「運転していた大道さんが言っていたように、長い坂道を下るとき、エンジンブレーキを使わずにフートブレーキで下ったためにだんだんブレーキが効かなくなった」旨の供述からも明らかなとおり、死亡した運転者大道もブレーキ不作動の原因がベーパーロックであることを死亡前に認めていたのである。

4  本件警察発表に基づき、中日新聞及び伊勢新聞等は、昭和五〇年一一月一二日、それぞれの新聞紙上において、「ブレーキ故障、死亡事故から発覚」(中日新聞)、「不正業者ら四人検挙、死亡事故で突きとめる」(伊勢新聞)という標題(見出)の下に、本件事故原因に不審を持って調べていた三重県警交通部と久居警察署は本件車両の車検をした民間車検工場の原告会社が手抜き車検をしていた事実を掴んだ旨、原告会社を道路運送車両法違反の容疑で、原告長谷部及び原告会社自動車検査員岡敏夫を虚偽公文書作成、道路運送車両法違反及び業務上過失致死の容疑でそれぞれ取調べている旨、本件事故の原因は、事故トラックのホイールシリンダが摩耗しており、該ホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出た結果ブレーキが効かなくなったためである旨の事実に反する誤った報道をした(以下、本件新聞報道という)。

5  以上で明らかなとおり、被告三重県の公権力の行使にあたる三重県警察本部交通指導課長及び同課担当課長補佐並びに三重県警察久居警察署次長及び同署交通課長は、その職務を行うについて、違法にも、原告会社が本件車両につき手抜き車検をした事実及び本件事故の原因が摩耗したホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出た結果ブレーキが効かなくなったためである事実を認めるに足りる証拠もないのに、右各事実を新聞記者に発表したため(本件警察発表)、その旨新聞紙上に報道され(本件新聞報道)、その結果原告らは多大の信用上の損害及び精神的苦痛を被ったから、被告三重県は国家賠償法に基づき本件警察発表・新聞報道により原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある。

本件警察発表は、本件事故原因を解明する能力に欠ける警察官中津章に鑑定をさせ、中津章は当然なすべき調査検討事項を見落してこれを検討することなく、単純にオイル漏れとホイールシリンダの損傷を短絡して安易に誤った鑑定の結論を報告したにもかかわらず、捜査担当者がこの能力不足の中津鑑定を重視し過ぎた結果本件事故原因を誤認するに至り、右事実誤認に基づいて発表されたものであるから、本件警察発表をした被告三重県警察官に過失があることは明らかである。

6  本件警察発表・新聞報道により原告らが被った損害は次のとおりである。

(一) 原告会社の損害 金二〇〇〇万円

(1) 原告会社の過去五年間における車検受注台数は次のとおりである。

年度

車検受注台数

月平均

昭和四七年

三三四台

二七・八台

四八年

三二一台

二六・七五台

四九年

三八〇台

三一・六台

五〇年

二九八台

二四・八台

(一月~一〇月分二七三台)

五一年

二二二台

一八・五台

五二年

二三三台

一九・四台

昭和四七年から本件新聞報道前の昭和五〇年一〇月までの車検受注台数は一三三三台であり月平均は二八・九台となる。本件新聞報道後の昭和五〇年一一月より昭和五二年一二月までの受注台数は四八〇台で月平均一八・四台となり、月平均一〇台の受注減少となった。

原告会社が車検を受注する車種は大型貨物自動車と普通乗用自動車とであり、その割合は約半々である。大型貨物自動車の車検料金は一台につき三〇万~五〇万円で、その約二〇パーセントが原告会社の利益であり、普通乗用自動車の場合の利益は一台につき約一万~一万五〇〇〇円である。したがって、受注減による収入減は月平均大型車(平均四〇万円とする)においては四〇万円(八万円×五台)、普通車においては六万二五〇〇円(一万二五〇〇円×五台)の合計四六万二五〇〇円の損害となる。したがって、昭和五〇年一一月より昭和五三年一〇月までの三六か月分の受注減少による損害は合計一六六五万円となる。

(2) 原告会社は他に一台につき検査機器使用料として一律に車検自動車一台につき一万二五〇〇円の収入があり、その三六か月分の金四五〇万円(一万二五〇〇×一〇×三六)の損害を被っている。

(3) 更に当時原告会社はトヨタフォークリフトの協力工場として毎月八〇万円~九〇万円の収入を得ていたが、本件警察発表の結果昭和五一年七月に右契約が解除され、そのため協力工場として入るべき利益分一五パーセント分がカットされ、月平均一二万円~一五万円の減収となった。したがって、昭和五一年八月より昭和五三年一〇月まで二七か月分の金三二四万円~四〇五万円の損害を被った。

(4) 原告会社は、以上合計金二四三九万円~二五二〇万円の損害を被っておりその他にも一般修理分の減少もあるから、原告会社としては本件警察発表によって少くとも金二〇〇〇万円の損害を被ったことは明らかである。

(二) 原告長谷部の損害 金三〇〇万円

原告長谷部は本件警察発表・新聞報道の結果経営者としての信用を著しく失い、そのため昭和五〇年当時就任していた三重県自動車整備振興会理事等の前記各役職を全て辞任せざるをえなくなり、信用回復に現在努めているが、その精神的苦痛ははかりしれないものであって金銭で評価して少くとも三〇〇万円を下らないものである。

7  よって、被告に対し、原告会社は右損害金二〇〇〇万円、原告長谷部は右損害金三〇〇万円及びそれぞれ昭和五三年一一月九日(本訴状送達の日の翌日)から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の抗弁

1  請求原因1の事実中、昭和五〇年当時原告会社が名古屋陸運局長からいわゆる民間車検工場の指定を受けていたこと及び原告長谷部が原告会社の代表取締役であったことは認めるが、その余は知らない。

2  請求原因2の事実中、(二)の事実及び(三)のうち原告会社を道路運送車両法違反、原告長谷部及び訴外岡敏夫を業務上過失致死の各容疑で取調べていることを発表した点は否認するが、その余は認める。なお、警察は、そのほかにも、関連二業者を同一容疑で家宅捜索した旨及び検挙業者名、容疑事実の概要を発表した。

3  請求原因3の事実は否認する。もっとも、中津章が昭和五〇年一〇月三日三級自動車シャシ、ガソリン・エンジンの自動車整備講習の課程を終了、同年一〇月六日三級自動車シャシ、ガソリン・エンジン学科試験に合格、同年一二月一〇日三級自動車シャシ、ガソリン・エンジン整備士の技能検定に合格したこと、昭和四八年一一月二〇日現在の三重県警察職員録(あさあけ別冊有償附録)には、中津章が鑑識課理化学係に在籍している旨記載されていること、東洋工業株式会社内品質管理部工機検査課、同実験研究部における実験の結果ではダストブーツ内への油漏れはなかったことは認める。

本件事故に対する捜査は、本件車両の走行状況及び事故前の状況等についての関係者の供述、本件事故現場及び本件車両の実況見分並びに中津鑑定等によって総合的、科学的、かつ適法に推進され、その結果、極めて高い蓋然性をもって認定できる事実関係に到達し、その認定事実関係に基づいて本件警察発表(但し、被告が認める限度での発表。以下同じ)を行ったものであり、右発表に事実に反する点はない。

(一) 中津鑑定について

鑑定人が鑑定の資格を有するか否かの問題は、刑事訴訟法第一六五条の規定の援用をまつまでもなく、学識経験の有無をもって具体的に論ずるべきものである。この観点からすれば、次に述べる如く中津章は本件鑑定に着手した昭和五〇年八月頃には既に鑑定に必要な学識経験を充分に有していたと認めることができる。すなわち、中津章は昭和三九年三月国立三重大学学芸学部(理科物理学専攻)を卒業したが、当時、三重県警察では交通事故の増加及びその複雑多様化に対応して、交通事故原因の科学的究明に専従する職員の採用が懸案となっていた折柄、基礎理論を修得している同人がその適任者として昭和三九年四月一日三重県警察技術吏員に採用されたもので、同日付をもって三重県警察本部刑事部鑑識課勤務となった。その後昭和四七年四月一日主任に昇格、昭和五〇年四月一日犯罪科学研究室の設置に伴い同室研究員となり現在に至っているもので、この間終始一貫して犯罪鑑識業務に従事してきている。特に三重県警察技術吏員に採用された経緯に鑑み、採用直後の二年間は交通事故の鑑定に必要とされる高度な知識技能を修得する目的をもって鑑識課に在籍したまま、三重県警察車両整備工場へおおむね一~二か月間を区切って数回にわたって断続的に派遣され、昭和四一年四月以降昭和五〇年八月に至る間においても一〇日間前後と短期間ながら随時断続的に派遣され、それぞれ自動車の整備作業の研修に従事してきている。また、昭和四三年九月から同年一一月までの二か月余の間、鑑識課に在籍したまま関東管区警察学校(東京都所在)鑑識(理化学)専科に入校し交通事故原因の究明に関する専門的教養を修得した。一方、昭和四一年四月以降昭和五〇年八月までの間に二〇〇回余にわたって交通事故に関する鑑定を行っており、その過程において随時一定期間、三重県警察車両整備工場等に派遣され、自動車整備作業に関する実務的経験を積むとともに交通事故原因の究明に関する高度の学識経験を得てきている。これらの長期間にわたる実務経験と国立三重大学在学中に修得した基礎理論に関する知識とが相まって、昭和五〇年八月の相当以前において既に同人は高度な自動車整備作業に必要な知識、技能及び鑑定能力を取得していたものということができる。加えて、同人は昭和四九年中に三回にわたり、四日市簡易裁判所、上野簡易裁判所及び津地方裁判所伊勢支部からそれぞれ鑑定を命ぜられ、交通事故に関する鑑定を行った経験を有しているのである。本件事故の原因究明に際し三重県警察本部長が中津章を高度な学識経験及び公正な鑑定能力を有する者と認めて、本件事故車両の鑑定を行わせたことは極めて適切妥当な選任であるというべきである。

本件事故直後に久居警察署司法警察員巡査坂口清一が行った実況見分の結果(本件車両の左後輪部分にブレーキ油状の顕著な漏出痕跡が認められた等とするもの)及び本件事故車両に同乗していた浅生寅雄の任意供述の内容等を総合的かつ慎重に検討した結果、本件事故の発生原因が左後輪ブレーキ部分の故障にあることが明白となったため、これに対応して本件事故発生地を管轄する久居警察署長が左後輪ブレーキ部分を重点に制動系統全般について更に科学的に究明するため、その鑑定を三重県警察本部長に対して行ったものであり、これらの過程を経て中津章が鑑定人に選任され鑑定を行うにいたったのであり、同鑑定人の鑑定は高度な学識経験を駆使して必要かつ妥当な方法で行ったものであり、その鑑定結果についても何ら誤りはない。交通事故についてその一般的原因としては機能面、人為面の両者があることは勿論であるが、本件事故についてはその発生原因が左後輪ブレーキ部分の故障によることが明白になった結果をふまえて、久居警察署長が鑑定箇所を特定したうえ鑑定依頼を行ったもので、鑑定人はこの依頼内容に対応して鑑定を行ったものである。

次に鑑定人の鑑定方法及び鑑定結果に関する原告らの主張に対しつぎのとおり反論する。

(パイプラインの残圧喪失について)

パイプラインの残圧が失われたときというのは、パイプライン内に保たれている平方センチメートル当り約一キログラムの残圧が失われる場合であって、その状態では大気圧と同圧になるにすぎず、重力に従っての自然漏洩はあり得てもホイールシリンダとその内部に組み込まれている制動アッセンブリー(内部部品)が正常である限り瓶に密栓を施した状態と同じく、ブレーキオイルの漏出はあり得ないところであり、加えて、これらに整備マニアルの常識としてラバーグリースを塗布しピストンカップとの密着性を高めていることをあわせ考えるとなおのこと、残圧喪失のみをもって本件車両にみられるようなオイル漏れはあり得ないと判断される。鑑定にあたって本件車両の左後輪ホイールシリンダにのみオイル漏れの現象がみられたのは、それまでの原因が何であるにせよ、本来密栓の役割りを果たす高度な気密機器であるべきホイールシリンダ及びその制動アッセンブリーに直接の原因を求めざるを得ないのである。

原告らは残圧喪失によるオイル漏れ原因追及のため、マスターシリンダ、バルブ、ハイドロマスター等の点検を主張しているが、これらの故障が左後輪のホイールシリンダのオイル漏れと直接つながらないことは前述のとおりであるが、念のためこれらの故障とブレーキ故障との関係について言及すれば、

○ マスターシリンダに故障があって作動しない場合は、本件車両におけるブレーキはホイールシリンダに平方センチメートル当り二〇~一五六キログラムといわれる加圧が不可能となるのであるから、ブレーキの効かなくなることはあっても、ブレーキオイルの滅失状態を招来することはあり得ない。

○ マスターシリンダバルブの故障やハイドロマスターの故障はブレーキの効きがおそく、また、効きが若干弱くなることはあっても、前者の場合全く効かなくなることはあり得ないところであり、後者においてはブレーキは効かないこともあり得るがブレーキオイルの滅失状態は招来しない。

以上のとおり本件車両がリザーブタンクから末端のホイールシリンダに至るまでブレーキオイルが殆んど滅失し、かつ、ホイールシリンダ部分から多量のオイル漏れがあるという異常な状態は、これらの部分の内部故障ではあり得ないことを物語っており、外部検査からもオイル漏れの所見は見出されなかったのである。

(ベーパーロック現象について)

原告らは事故原因としてブレーキの使いすぎによるベーパーロック現象を挙げているが、後記のごとく結論としては、これもブレーキ液の滅失や左後輪ホイールシリンダのオイル漏れとは無関係というべきである。すなわち、本件車両の車輪をみると、ブレーキの過多使用の場合によくみられるブレーキドラム内面の発色や、ブレーキライニング部分の焼結現象がみられず、一概にこの状態では、ブレーキペダルの使用過多のみによるベーパーロック現象を招来していたとは考えられない。また、ベーパーロック現象はブレーキオイルの温度上昇により内部に気泡が生じる現象であり、ブレーキが効かなくなる状態の発生またはブレーキオイルの粘性が著しく低下することはあり得ても、ホイールシリンダとその内部に組み込まれている制動アッセンブリー(内部部品)が正常である限り、瓶に密栓を施した状態と同じく直ちにオイル漏れの結果を招来するものではない。

ベーパーロック現象を起こさせるための熱そのものは、ブレーキシュー等導体の途中で自然冷却される分を差し引いてなおかつブレーキオイルを蒸気化させるだけの温度が連続して発生しなければならないもので、この温度はブレーキオイルの質の良否によって若干の違いはあるが、ブレーキドラムの温度が大体摂氏二五〇~三〇〇度以上になっていなければならず、その場合にはドラムに発色現象が生ずるものである。金属が加熱されればその表面に酸化皮膜が生じ、それが色となって残ることは化学の基礎理論を学んだ者であれば誰もが知っているところであり、その色の変化は温度によって異なるのは勿論、物質によっても異なるが、ブレーキドラムに使用している鋳鉄ではおおむね摂氏二〇〇度で淡黄色、摂氏二六〇度で紫色、摂氏三二〇度で青色等に近い色となることは化学実験及び経験上明らかになっているが、本件車両のブレーキドラムにはそのような発色が生じた形跡はなかったから、ベーパーロック現象は発生しなかったものと考えるのが相当である。なお、本件事故現場と同程度あるいはそれ以上の勾配を有している表六甲ドライブウェイ、箱根などの急勾配を有する日本国内の道路でも、本件事故発生当時相当数の車両が走行していたにもかかわらず、異常な高熱を招来しブレーキ関係機器に支障をきたした事例を証明する資料は何もなく、原告らの主張は現在の自動車工学、オイル製造技術、各種品質管理などの水準をまったく無視した非科学的なものといわざるをえない。

(ホイールシリンダの内部について)

ホイールシリンダ内部の鑑定所見は鑑定書記載のとおりで、本来ブレーキ系統は重要保安部品のひとつであり、シリンダはダストブーツにより密閉されて異物が外部から混入するのを防止しているから、内面は清浄を保ち、常に滑面が保護されているものであるが、本件車両の左後輪ホイールシリンダのように粘性異物が付着し、部分的ではあるが発錆状態や段付摩耗部分が認められ、ピストンカップ部分に摩耗傷が認められるのは、経験則上異常というべきものであり、このような状態は加圧に対して漏圧を招き、それに伴なってブレーキオイルの漏出を招くことは明らかである。本件ピストンカップに傷があり、ホイールシリンダに錆や段付摩耗があり、ガム状のものが付着していたということは、非常に漏れ易い状態であり、また以前から漏れていたとみてよい。本件車両の前所有者である阿部一三の供述によると、本件車両はブレーキの効きが悪く六か月の間に一、二回のブレーキオイルの補充をしていたところ、ブレーキの効きの悪いまま、車検切れとなる頃阿部一三から解体屋南商店に売却されたとのことであり、それを三重ヂーゼルが購入し、整備をしないまま原告会社で車検を行ったものであるから、阿部一三が所有していた頃からブレーキオイルは漏れていたもので、それを原告会社で初めて修理したことになるが、原告会社は本件車両の点検整備を行わなかったから当然ブレーキオイルは漏れ易い状態のままになっていたと考えられる。ブレーキオイルは温度が高くなると粘度が低下し、ホイールシリンダとピストンカップのシール効果が低下することからオイルが漏れ易い状態になるのである。加えて本件車両は倍力装置付きブレーキであって、ピストンカップには普通の自動車よりも圧力が強くかかり、漏れ易くなった状態のオイルは、ピストンカップの傷、ホイールシリンダの錆、段付摩耗の組合せによりオイルが漏れるのは当然のことといえる。ピストンカップの傷の大きさは《証拠省略》の写真から判断すれば、リップ部から二ミリメートルを優に越えることが認められるものである。本件車両のブレーキオイルは以前から漏れていたか、漏れ易い状態であったもので、ブレーキペダルを踏む回数が多くなるに従い、ブレーキオイルの温度上昇をきたし、漏れの回数も増し、徐々にブレーキオイルがホイールシリンダから流出し、マスターシリンダのリタンポート付近にまで減ると空気を吸い込み、制動力は弱まり、リタンポートを過ぎれば加圧できなくなり、ブレーキシューを押し拡げることができず、制動効果は全くなくなるというメカニズムを理解することができる。

一般的に左後輪の制動効果が低下した場合、他の三輪の制動効果は妨げられず通常どおり保持されるので、この場合はブレーキペダルを踏み込めばハンドルは右にとられることになるが、重い荷を積載したり、坂道を降坂走行時にはブレーキをかければ重心が前方へ移動するため、ハンドルに対する影響は後輪の場合には非常にわかりにくいといわれている。

(二) 東洋工業での実験結果について

昭和五一年一月一三日と一四日、東洋工業株式会社内品質管理部工機検査課及び同実験研究部において行った本件車両の左後輪ブレーキ部分の精密検査及び実験(以下、「東洋工業での検査」という)は、中津鑑定から本件車両の左後輪のホイールシリンダ及びピストンカップにナイル漏れの原因となった損傷がある旨指摘されたことを受けて、当時本件事故関係の捜査を担当していた交通部交通指導課警部補久保辰弥外一名が直接東洋工業株式会社へ出向いたうえ、当該ホイールシリンダ一式についてさらに精密な検査・測定を行うとともに当該ホイールシリンダの作動の良否、主として作動中のブレーキナイルの漏出の有無を見分するため機械的に摺動実験を行ったものであるが、これは本件事故に関して原告長谷部一雄にかかる業務上過失致死罪容疑事件の捜査の進展に伴い捜査上の必要から実況見分として行ったものである。その結果は、①ホイールシリンダ各部の摩耗状況については中津鑑定書に指摘された如く、ホイールシリンダ内面及びピストンカップに損傷のあることが確認され、②摺動実験の結果では、カップ及びピストンのべース部にブレーキオイルの付着はみられたが、ダストブーツ内へのオイル漏れはなかった、というものであった。右東洋工業での検査は、ホイールシリンダの内面を清浄にし、ドラムに回転を与えず、無負荷で作動油圧を平方センチメートル当り三〇キログラムとしたものであり、かつ、ピストンカップの耐久試験の途中結果というべきものである。このような本件事故発生時と比して著しく異る条件下で行った実験の結果をもって、直ちに「ホイールシリンダからブレーキオイルの漏れはない」との証明に結びつかないことは明らかである。被告がこのような主張をすると、当然、原告らから東洋工業での検査の必要性についての疑問が出されるであろうが、東洋工業での検査はあくまで本件事故に対する捜査の一環である実況見分として行ったものであり、本来ホイールシリンダ部分の損傷の有無及びその程度の測定を主たる目的としたものであり、その過程で補足的に摺動実験を行ったものにすぎないのである。勿論、その時点で本件事故発生時と同一乃至は類似した条件の下での摺動実験を行うことは到底不可能であったため、正確な実験結果の出ないことが十分予想されたが、あえて捜査上の参考として行ったにすぎない。

東洋工業での検査条件が本件事故発生時のそれと異る重な点を指摘すると、①ホイールシリンダとピストンカップの組合せの問題、②圧力の問題、③ブレーキオイルの性状、温度の問題、④回数の問題、⑤車輪とこれを止めようとする力の問題等であり、これらの諸点が本件事故当時における本件車両のそれと同じであるかどうかの問題を抜きにして、オイル漏れなしと結論することは無意味である。すなわち、東洋工業での実験の条件は圧力が平方センチメートル当り三〇キログラム、車輪は回転していなく、ブレーキオイルに関してはすべて不明、実験回数も七四〇〇回と低い。本件車両では、実際は、圧力は倍力装置によって踏力一〇〇キログラムで最大平方センチメートル当り一五六キログラムの圧力が加わることになるはずである。また、車輪の回転とこれを止めようとして働く相反する複雑な力による「ガタ」の生じ方も問題である。更に圧力、ブレーキオイルの温度、回数についてはJIS規格によると、圧力七〇プラスマイナス平方センチメートル当り三・五キログラム、オイル温度摂氏一二〇度プラスマイナス五度、回数八万五〇〇〇回とされているにかかわらず、これらの数値を特定していない東洋工業の実験は、きわめて杜撰であり、その実験結果を直ちに本件事故原因認定の参考資料とすることは理論上も、方法論的にも不可能というべきである。また、オイル漏れの可否についても、ピストンカップのホイールシリンダへの組込み方にも問題があるし、特にブレーキオイルの性状と温度が問題になる。というのはJISのブレーキオイルの解説によると、ブレーキオイルの粘度は高温時にはそれが過小であるとブレーキオイル漏れの原因になると記述され、ブレーキオイルは新しいほど粘性があって漏れ難いものであるが、東洋工業の実験に使用したブレーキオイルの性状、使用温度も不明である。本件事故発生時と異なる条件下で行った右実験の途中経過的な結果ですら、ピストンのべース部にブレーキオイルが付着していたということを考えれば、本件事故時と同一の条件で実験しておればなおさらオイル漏れが生じたであろうことは容易に理解できるというべきである。

(三) 手抜き車検について

原告長谷部は、昭和五〇年五月六日から同月一二日頃までの間に原告会社が行った本件車両の車検整備について、取調警察官に対してした供述を翻えし、当審においては道路運送車両法、運輸省令に定められた点検整備を行ったと主張しているが、名古屋陸運局長の指定工場として民間車検工場の資格を取得して営業している以上、原告会社は当然ホイールシリンダなど制動装置の機能、内部の摩耗及び損傷の有無を検査すべきであり、検査すれば当然右摩耗、損傷を発見できるから、部品の交換など所要の措置をとらなければならなかったことはいうまでもない。しかるに、本件事故の原因がホイールシリンダからのブレーキオイル漏れによる制動部分(左後輪)の故障であることは明らかで、シリンダの摩耗や発錆状態が、三か月ほどの経過はあるにしても本件事故三か月前の車検整備時に発見されていないということは、原告会社及び原告長谷部が法令で定められている点検基準を遵守せず、いわゆる「手抜車検」を行っていたことを雄弁に物語るものである。また、原告長谷部は、本件事故発生後に行われた警察官によるいわゆる任意取調に対し、不正車検の事実を認めていたし、さらに関係者の供述、特に、原告の妻長谷部きぬ子の「部品の交換があればすべて私に言ってくるのですが……交換部品は渡しておりません」旨及び同原告会社検査員岡敏夫の「奥さんが、これでお父さんも懲りるだろう、岡さんにも無理を言わなくなると言っていた」旨の各供述は信用できるものであるというべきである。不正車検の事実については、本件事故原因追及に関連して他の一〇台余について不正車検の事実が判明し、これは鈴鹿簡易裁判所、名古屋高等裁判所、最高裁判所において順次審議された結果、昭和五八年四月二二日上告棄却の判決があり、原告会社及び原告長谷部にそれぞれ罰金五万円、岡敏夫に罰金二万五千円の各刑が確定している。

4  請求原因4の事実中、原告ら主張の如き本件新聞報道がされたことは認めるが、それが本件警察発表に基づくとの点は否認する。

5  請求原因5の事実は否認する。本件警察発表の目的は、本件事故発生直後から慎重に捜査を遂げた結果、極めて蓋然性の高い事実関係に基づき、かつ、交通事故が大きな社会問題となっている時代的背景をふまえて、事故に直結する極めて危険度の高い不正車検の追放をめざすとともに、事故防止に関する国民的意識を高め、ひいては交通事故の発生を未然に防止するという公共の利益を守る見地から行ったものである。発表内容の真実性については、本件事故発生直後からの捜査によって客観的に立証されたものであるが、具体的には実況見分、関係者の供述及び鑑定人中津章の鑑定等を総合的に検討して判断したものである。本件警察発表は、昭和五〇年一一月八日三重県警察本部交通部交通指導課(以下「交通部交通指導課」という)においてその文案を起案し、順次決裁を経て発表文をコピー印刷し、あらかじめ新聞記者にコピー発表文を配付し、若干の補足説明を加えたもので、発表の方法は、従来からの慣例にならったものである。したがって、本件警察発表には何ら違法はない。仮に本件警察発表によってたまたま原告らの名誉が毀損されたとしても、これを発表した被告当局者に悪意、過失はなく、もっぱら公共の利益を目的として事実に基づいてしたものであることは明らかであるから当然免責されるべきである。

6  請求原因6の事実は知らない。

第三証拠《省略》

理由

一  昭和五〇年当時原告会社が道路運送車両法所定の指定自動車整備事業(いわゆる民間車検工場)の指定を受けていたこと、原告長谷部が原告会社の代表取締役であったこと、昭和五〇年八月二日午前一一時三〇分頃、三重県一志郡白山町大原地内道路上で普通貨物自動車(以下、本件車両という)が谷川に転落し、運転者大道将之が死亡した交通事故(以下、本件事故という)が発生したこと、右事故につき所轄の被告三重県久居警察署が一応の捜査を遂げた同年一一月八日、三重県警察本部警察記者クラブにおいて三重県警察本部交通指導課長及び同課担当課長補佐が、また久居警察署事務室において久居警察署次長及び同署交通課長が、それぞれ新聞記者に対して、①本件事故の概要及びその発生原因がブレーキ故障であった旨、②右捜査によって、本件事故発生の三か月前に原告会社が本件車両に対して行った車両検査において手抜きをした事実が明白になった旨、③このため、原告長谷部一雄及び原告会社自動車検査員岡敏夫を虚偽公文書作成罪及び道路運送車両法違反の容疑で取調べている旨、④民間車検制度のあらまし及び県下における指定工場の実態、⑤このたびの検挙を機に今後徹底した捜査を実施していく方針である旨を発表したこと、そして原告ら主張の如き本件新聞報道がされたことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によると、右警察発表において、右発表に争いのない事実のほか、本件事故の原因は本件車両のホイールシリンダが摩耗しており、該ホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出たためにブレーキが効かなくなったためである旨及び原告会社を道路運送車両法違反、原告長谷部を業務上過失致死罪の各容疑で取調べている旨を発表した事実を認めることができる(結局、原告らに関する限り、原告ら主張の本件警察発表があったことが認められる)。

二  本件事故及び本件警察発表をめぐる事実関係は、《証拠省略》を総合すると、次のとおりであると認められる。

1  津市栗真小川町七七二―二において「三重ヂーゼル自動車整備工場」という商号で自動車整備業を営む訴外奥田順康は、昭和五〇年五月初旬自動車検査証の有効期間が同年三月一〇日に経過した本件車両を下取りとして買取ったが、当時造園・石材業を経営する訴外森本恒雄からいい下取り車があったら買い受けたい旨の申出を受けていたので、本件車両を同人に紹介したところ買受ける旨の申出があったので、道路運送車両法六二条所定の継続検査(いわゆる車検)完了後に本件自動車を売買することとなり、同法九四条の二所定の指定自動車整備事業の指定を受けている原告会社に運輸省令で定められた保安基準に適合する車両整備を依頼して本件自動車を同月六日頃引渡し、原告会社から同月一二日頃右依頼どおりの整備完了ということで本件車両の返還と保安基準適合証及び保安基準適合標章の交付を受け、いわゆる車検ずみである旨を明示して同月一二日頃本件車両を代金六五万円で森本恒雄に売渡した。

右経緯で原告会社が車両整備を引受けた本件車両につき、原告長谷部は自分が保安基準に適合すると考えるところに従ってその整備をし、右整備後原告会社自動車検査員岡敏夫が原告会社の自動車検査員として保安基準に適合する旨証明し、整備、車検ずみとして原告会社から三重ヂーゼルに本件車両は返還されたが、原告長谷部のした右整備は、車輪のホイールシリンダの外部点検はしたものの、それを分解してその内部まで点検したものではなかったから、道路運送車両法所定の指定自動車整備事業者が保安基準適合証を発行する前提となる自動車の分解整備として要求される、「ホイールシリンダを分解して、シリンダ、ピストン、カップに摩耗または損傷がないかどうかを点検する」分解整備を省略した不十分なものであり、したがって右不十分な分解整備にもかかわらず原告長谷部及び原告会社が本件車両につきいわゆる車検ずみとして保安基準適合証等を交付した行為は、いわゆる手抜き車検と評価されてもしかたのないものであった。

2  森本恒雄は昭和五〇年五月一二日頃本件車両を買受けてその引渡を受けた後、自己の経営する造園・石材業のために使用人である服部兵次、田上隆雄及び亡大道将之に本件車両を適宜使用させていたが、本件事故までの間、本件車両を運転した右三名から、本件車両についての異常箇所ないし故障箇所についての報告はなかった。服部兵次に関しては、同人が本件車両を運転して長距離走行をしたのは少くとも山梨県南部町へ二回、愛知県鳳来町へ一回、いずれも庭石を運搬するため津市と往復したことがあり、これらの場合はかなり急な坂道を上ったり下ったりしたがブレーキはよく効いたし、ブレーキが片効きするというようなこともなく、他は安芸郡芸濃町の植木センターから庭石を積載して津市内へ配達するために本件車両を運転したが、そのときもブレーキに異常は全く感じられなかった。すなわち、本件事故発生までは本件車両にブレーキの故障を示すような徴候は全くなかった。

なお、森本恒雄は本件車両を購入後常時露天駐車させていた(ブレーキオイルが大気中の水分等を吸収しやすい状態にあった)。

3  ところが、亡大道将之が、昭和五〇年八月二日午前九時頃助手席に浅生寅雄と浅生俊二の二名を同乗させ、荷台に重量約一屯のクレーンを常備した本件車両(マツダボクサー四七年式四屯車)に合計重量約三屯の庭石を積載して(積載物の重量合計約四屯)、津市高洲町二七番一四号地北東約一〇〇メートルの安濃川河口南側堤防下の石置場から本件車両を運転して出発し、途中浅生寅雄方と津警察署に所用で立寄った後、九時三〇分頃津警察署を出発し、しばらく国道二三号線を南進した後、津市西阿漕町から国道一六五号を一路西に向い右石置場から約三二・五キロメートル走行し、青山トンネル西約〇・五キロメートルの地点で南に折れて町道大原伊勢見線(本件道路という)に入り、右地点から本件道路の最高地点(青山高原保健休養地管理株式会社事務所から北へ約一〇〇メートルの地点)まで約二・四キロメートルを上下共用の一車線のアスファルト舗装の殆ど上りの坂道で、かつカーブの多い本件道路を走行し(左上りカーブ八箇所、左下りカーブ約二箇所、右上りカーブ約一二箇所、右下りカーブ約一箇所。運転者を含めて六名乗車の当裁判所検証車(ニッサンセドリック・六気筒・二〇〇〇cc・付属ギア前進三段オーバードライブ付)は右上り坂ではギアを第一速にしなければ上ることができなかった)、右最高地点を経た後は上下共用の一車線のアスファルト舗装の下り一方の坂道で、かつカーブの多い本件道路を下り、左カーブ約七箇所、右カーブ約六箇所を経て最高地点から約一・七キロメートルの青山高原簡易水道加圧ポンプ場(水道小屋)に至り、水道小屋前の約三六〇度方向転換するヘアピンカーブを経た後は約五箇所の左カーブ(一箇所のへアピンカーブを含む)、約三箇所の右カーブを経て最高地点から約二・四キロメートル下った地点付近をギアを第二速に設定して自転車の速度とほぼ同等の時速約一五ないし二〇キロメートルで走行中、それまで異常なく作動していたブレーキが突然効かなくなってきたことを知り、そのまま走行することに危険を感じたため、次の緩やかな右カーブ曲り直線に入ったところでまず同乗中の浅生父子に指示して走行中の本件車両から右二名を路上に飛び降りさせ、続いて午前一一時三〇分頃最高地点から約二・五キロメートルの地点付近(本件事故現場)において走行中の本件車両運転席右側から自らも路上に飛び降りたが、運悪く飛び降りた際に転倒した亡将之の両下肢を本件車両右後輪が轢過したため受傷し(本件事故)、その後救急車で病院に収容されたが右受傷が原因で亡将之は同日午後一時五分死亡した。なお、ヘアピンカーブのある水道小屋前から本件事故現場までの本件道路の勾配状況は総距離約八三八メートルで高低差約一一二メートル、最高勾配度一二・五度の急坂である。

なお、亡将之が飛び降りたため運転者が不在となった本件車両は、本件事故発生後直ちに本件道路を左側(東側)に外れて道路左側の急な斜面の杉林を下方向へ暴走し、約五メートル下の谷川の岩石に衝突して停止したが、亡将之の指示で浅生俊二がエンジンを停止するまでの約一五分ないし三〇分間、本件車両のヂーゼルエンジンは作動を継続し、後輪は回転を継続していた。

本件事故当日は津市内は快晴で、最高気温は三〇度Cを超えていた。

4  本件車両を本件事故現場から三重県久居市中町一七七―一久居警察署駐車場に運搬し、同所において警察官が実況見分を実施した結果は次のとおりであった。

(一)  計器類について

スピードメーターの針は0の位置に停止

ラジエターはHの位置に停止

アンプは一の位置

(二)  制動装置について

ブレーキペダルは、車両の前下部が落下して岩石等に衝突したため床面が突き上げられて、ペタルを踏んだときの状態で固定していて踏みしろはなく、踏んで実験することは不可能な状態であった。

(三)  ギヤー位置について

ギヤー位置は、ギヤーミッションが破損しているためか、チェンジレバーは動かず、外見的にはギヤー位置は明確に判別できなかった。ギヤーのシフト位置を確認するため、ミッションの上部から分解を試みたが運転席が破損しており分解作業が困難なため、別途方法としてミッション左側面に装着されているP・T・Oギヤーケース(パワー・テーク・オフ機構)の蓋を取り外し、ミッション内部ギヤーの状態を目視したところ、二・三速用のシンクロナイザリングASSYクラッチハブスリーブが後方に移動していたから、この状態はカウンターシャフトの動力がクラッチハブスリーブの移動で二速ギヤーとかみ合っていることを示し、ギヤーの位置は二速にシフトされているものと判断された。

(四)  制動装置各部の状況

(1) 運転席のインスルメントパネル上にブレーキオイルとクラッチオイルのタンクが設置されているが、左側のクラッチオイルタンクについては約九分どおりオイルが残存していたが、右側のブレーキオイルタンクについてはオイルが全くなく(空の状態)、また同タンクからオイルがこぼれ出た形跡もなかった。

(2) ブレーキオイルタンクからマスターシリンダの間は直径約一・五センチメートル、長さ約五〇センチメートルのビニールパイプで接続されているが、このパイプ内にもオイルはなく、かつ右パイプ及びパイプの接続点からのオイル漏れの形跡もなかった。マスターシリンダからホイールシリンダへのパイプの接続部を取り外したがオイルの流出はなく、さらにマスターシリンダ本体を取り外し分解したがオイルは入っておらず、単にオイルが付着しているという程度のものであった。

(3) マスターシリンダとホイールシリンダとは直径約五ミリメートルの鉄パイプ(ブレーキパイプ)で接続されているが、それを順次点検したが破損箇所はなく、オイル漏れの形跡もなかった。

(4) 各車輪のバックプレート及びホイール露出部に対するオイルの付着状態等を点検したところ、右前輪については全く異常がなく、右後輪と左前輪に少量の油状の付着があり、左後輪については相当量の油状の付着が認められ一見してオイル漏れが推認できる状態であった。全車輪につきタイヤホイールとドラムを外して見たが左右前輪、右後輪については異常はなかったが、左後輪のドラムはオイルとライニングの粉末がミックスされた状態で付着していた。

(5) 装着されているブレーキの真空式倍力装置を取り外して点検したが、右装置に異常はなかった。

(五)  ブレーキパイプ内のオイルの点検

ブレーキパイプ内のオイルの有無を点検するため、右後輪の前後のホイールシリンダに接続するパイプについて、その分岐点の手前(マスターシリンダ寄り)約一〇センチメートルの箇所でパイプを切断したところ、四、五滴のオイルが流れ出たのみであった。左前輪についても同様箇所で切断したが、同程度のオイルの流出があった。

(六)  左後輪のオイルシールの状態

右後輪のオイルシールはほぼ完全に挿入されているのに反し、左後輪のオイルシールは約三ミリメートル挿入不足であり、しかもそれをハンマー様の物体で叩いた形跡が認められた。

(七)  左後輪のホイールシリンダの分解点検

左後輪の前後のホイールシリンダに接続するブレーキパイプを、右後輪の場合と同様、分岐点の手前約一〇センチメートルの箇所で切断したがオイルの流出はなかった。後側ホイールシリンダのブーツを外したところオイルが流出したので、その手前約一五センチメートルの箇所でさらにパイプを切断したが、オイルの流出はなかった。また、前側のホイールシリンダについてもシリンダの手前約七センチメートルの箇所でパイプを切断したが、オイルの流出はなかった。同ホイールシリンダの外側及びライニング、バックプレートとも油でべとべとしていた。

同車輪前後のホイールシリンダを取り外し、その内部を点検したところ、いずれもオイルは入っておらず、その内部壁については、前側のシリンダについては異常がなかったが、後側のホイールシリンダについてはその内部壁面を指先で触れたところ「ざらざら」した箇所が認められ、同シリンダのピストンカップについても傷が認められた。(もっとも、実況見分調書には、右ホイールシリンダ内壁のざらざらした箇所の正確な位置及びその程度、ビスカップの傷の正確な位置及びその程度についての明確な測定記録がなく、実況見分者の感覚的な見分結果のみの記録であるため、これらがどのような状況下においてオイル漏れと関係が生じるものかを現時点において科学的に判断することは困難である。また、ブレーキオイルの現状・品質についての分析がないため、それの本件事故当時における沸点を知ることもできない。)

(八)  他の車輪のホイールシリンダの状況

左後輪以外の他の車輪のホイールシリンダについては、分解して点検したが異常はなかった。

(九)  左後輪(ダブルタイヤ)の外側の車輪の外側壁はトレッドが判別できない状態に摩耗していた。

5  本件事故現場を管轄する久居警察署所属の司法警察員は、本件車両に同乗していた浅生父子及び三重ヂーゼル奥田順康等からの事情聴取及び実況見分の結果などから、本件事故の約三か月前に本件車両が原告会社で整備されいわゆる車検を受けて保安基準適合証等が交付されているにもかかわらず、本件車両左後輪のホイールシリンダからブレーキオイルが漏出し、ブレーキオイルがなくなっていたこと、そして本件事故はブレーキの故障に基因することから、原告会社のした分解整備が不十分であったために本件事故が生じた疑いがあるとして捜査を開始した。そして、原告会社自動車検査員岡敏夫、原告長谷部等関係者に対し警察署への任意出頭を求めてその取調べをするとともに、それと併行して久居警察署長は三重県警察本部刑事部鑑識課長に対し、本件事故に関係のある本件車両の制動系統損傷の有無及び暴走に基因する要因の有無の鑑定を依頼し、鑑識課長から右鑑定を命ぜられた鑑識課犯罪科学研究室研究員中津章は、本件車両の事故後の諸状況を総合判断した結果、昭和五〇年一〇月一一日付鑑定書をもって、「資料(本件車両―裁判所注)は左後輪のホイールシリンダー及びピストンカップに損傷が認められる。この場合ブレーキペダルの踏み込みを繰返すと徐々にブレーキ液がホイールシリンダーから流出し、そのためにブレーキ液が減じ、加圧できなくなると制動効果は全くなくなるものである。」旨鑑定した。

他方、原告会社自動車検査員岡敏夫及び原告長谷部は右捜査担当の司法警察員に対し、指定自動車整備事業者である原告会社がいわゆる車検整備をする際には、「ホイールシリンダを分解して、シリンダ、ピストン、カップに摩耗または損傷がないかどうかを点検する」分解整備の必要を確知していたが、右分解整備を故意に省略する等したにもかかわらず、指定整備記録簿にはそれをしたかの如く虚偽の記入をし、いわゆる車検ずみとして保安基準適合証等を交付した旨並びに本件車両以外にも、鈴鹿市の株式会社西部自動車及び同市岡田自動車整備こと岡田正秋の依頼を受けて、合計一二台の自動車について、原告会社事業場で分解整備を行っていないにもかかわらずその分解整備をした旨指定整備記録簿に虚偽の記載をし、いわゆる車検ずみとして不正に保安基準適合証等を交付した旨及びこれらの各行為につき原告会社自動車検査員岡は社長である原告長谷部の命に従っていたものである旨を任意に各供述した。

以上の捜査結果等を総合判断した結果、右捜査担当警察官は、原告会社、原告長谷部及び岡敏夫が共謀のうえ指定整備記録簿に内容虚偽の記載をした旨の道路運送車両法違反の被疑事実、刑法その他の罰則の適用については法令により公務に従事する職員とみなされる原告長谷部及び岡敏夫が共謀して内容虚偽の保安基準適合証を作成した旨の虚偽公文書作成罪の被疑事実並びに原告長谷部が本件車両のいわゆる車検整備に当り、自動車の保安上当然必要とされるホイールシリンダを分解して内部を点検すべき注意義務を怠った結果、本件車両左後輪ホイールシリンダ内部シリンダ摺動面とピストンカップのベースに生じていた損傷及び摩耗を発見できない状態のままこれを保安基準に適合したいわゆる車検ずみの自動車として三重ヂーゼルに引渡した過失により、本件車両が走行中に右ホイールシリンダの摩耗・損傷箇所からブレーキオイルが漏出しブレーキ作動に必要なブレーキオイルがなくなってしまったため、急勾配の下り坂を走行中に本件車両のブレーキが効かなくなり、その結果本件事故が発生し、運転者大道将之の死亡を招来せしめたという業務上過失致死罪の被疑事実の存在を確信し、交通事故が大きな社会問題となっている時代的背景をふまえて、激増・多発する死傷事故に直結する極めて危険度の高い民間不正車検の追放をめざすとともに、事故防止に関する国民的意識を高め、ひいては交通事故の発生を防止する目的の下に、昭和五〇年一一月八日本件警察発表をした。

6  その後、右鑑定結果を再検討ないし補強するため、三重県警察本部交通部交通指導課警部補久保辰弥が本件車両を製造した広島県安芸郡府中町新地三番一号東洋工業株式会社製造工場品質管理部工機検査課に赴き、右鑑定でブレーキ液の流出をもたらした損傷があるとされる当該ホイールシリンダ及びピストンカップを持参して、同社職員の協力のもとに、昭和五一年一月一三、一四日の両日、当該ホイールシリンダ及びピストンカップ各部の摩耗状況等の測定並びに摺動実験によるブレーキオイルの漏れの有無を調査したところ、その結果は次のとおりであった。

(一)  測定

当該ホイールシリンダ内壁の内径及び荒さ、ピストン外壁の外径及び荒さ並びにピストンカップリップ部外径の測定の結果は別紙のとおりであり、新品時の規格許容範囲内の部分が多く、規格を外れる部分も新品時の規格許容範囲を著しく超えるものではなかった。

(二)  摺動実験

当該ホイールシリンダ、ピストン及びピストンカップを本件事故当時同様通常使用の状態にセットし、ブレーキオイル及びブーツは純正規格品を使用して、ブレーキシューはライニングを有効全摩耗した状態に設定し、ピストンストロークを六ミリメートル、作動油圧は一平方センチメートル当り三〇キログラム、作動間隔八秒で、ブレーキダイナモメーターテスタ機を使用して、ドラムは回転させず、ホイールシリンダのみに油圧を加えて、作動回数七四〇〇回、作動時間約一六時間の摺動実験を行った結果は、①いずれのピストンカップもベース部及びピストン接着面にブレーキオイルが浸透付着し、②いずれのピストンもベース部及びピストンカップ接着面にブレーキオイルが浸透付着していたけれども、③ブーツ内へのオイル漏れはなかった。

また、警察及び検察庁は本件事故につき原告長谷部を業務上過失致死被疑事件の被疑者として捜査したが、その捜査過程において、昭和五一年九月頃、本件車両と同型式の自動車を使用し、亡将之が本件事故前に走行したとおりの状態で本件道路を走行して原告長谷部が主張するベーパーロックが発生するかどうかを実地に実験することを一旦は予定し、同原告に指示して本件車両と同型式の自動車を用意させたけれども、右実験は取り止めとなった。

7  結局、前記被疑事実中、原告会社、原告長谷部及び岡敏夫が共謀のうえ岡田正秋依頼にかかる自動車一〇台につき指定整備記録簿に内容虚偽の記載をした旨の道路運送車両法違反についてのみ起訴され、昭和五六年九月一日鈴鹿簡易裁判所において各罰金刑の判決が宣告され、それに対する控訴は昭和五七年八月二六日名古屋高等裁判所において棄却され、控訴審判決に対する上告は昭和五八年四月二二日最高裁判所において棄却され、右罰金刑が確定している。

8  ブレーキオイルの規格は、DOT3では新品で沸点二〇五度C以上、ウエットで沸点一四〇度C以上、DOT4では新品で沸点二三〇度C以上、ウエットで一五五度C以上、DOT5では新品で二六〇度C以上、ウエットで一八〇度C以上とされているが、右沸点に関する定めからも明らかなとおり、ブレーキオイルは使用開始後徐々に外部より水分が混入し、そのため沸点の低下をきたし、急な長い降坂道路を頻繁にブレーキをかけながら走行した時に発生するライニングの摩擦熱でブレーキ液が蒸気化し、ブレーキペダルを踏んでも制動圧が出なくなるいわゆるベーパーロックの原因となる。一般にチェックバルブの残圧の影響があるため、ベーパーロック現象は、含水量二・八パーセント、沸点一五三度Cのブレーキオイルの場合には一六五度C以上で発生、含水量五・一パーセント、沸点一三一度Cのブレーキオイルの場合には一五五度C以上で発生、含水量一〇・五パーセント、沸点一一〇度Cのブレーキオイルの場合では一三五度C以上で発生する旨の実験結果がある。ブレーキオイルは含水率が高くなる程沸点が下がり、温度上昇時の粘性も低下する。

走行中の車両を制動する場合摩擦力を応用するため、高速・高荷重で走っている車に急ブレーキをかけると、摩擦熱によって瞬間的にドラムブレーキで最高七〇〇~八〇〇度Cの高温が発生する。この熱はドラムを介して大気中に放熱されるが、その一部がブレーキ機構を介してブレーキオイルに伝わるため、ブレーキオイルの沸点が低いとベーパーロックを起す危険がある。

9  ところで、本件事故の最大の原因と考えられる本件車両のブレーキ不作動の原因について、本件事故後本件道路を外れて道路左側の急な斜面を下方向に暴走し約五メートル下の谷川の岩石に衝突して停止した(エンジンはその後約一五分ないし三〇分間作動を継続し、後輪は回転を継続していた)ところの、本件車両の左後輪のホイールシリンダからブレーキオイルが流出していた事実及び該ホイールシリンダの損傷からみて、左後輪のブレーキペダルの踏み込みを繰り返すうちに該ホイールシリンダ内壁とピストンカップ外壁の各損傷箇所からブレーキオイルが徐々に流出し、ブレーキオイルが減少したためホイールシリンダ内の加圧ができなくなり、その結果ブレーキが効かなくなったものであり(中津鑑定の見解)、原告長谷部が本件車両を整備点検した際該ホイールシリンダの右隠れた損傷(瑕疵)を発見しこれを取替える等して修理しておくべき注意義務を怠った結果右ブレーキ不作動を招来したものと、まず第一に考えられるけれども(以下、第一の考えという)、他方、そのように考えるについて支障となる次の諸事実、すなわち、①昭和五〇年五月一三日頃から本件事故日までの約二か月半の間、本件車両は森本恒雄の事業のため石材を積載したうえでの長距離走行やかなり急な坂道の上り下りにも使用されたが、ブレーキの故障を示すような徴候が全く見当らなかった事実、②本件車両の製造業者である東洋工業株式会社製造工場において該ホイールシリンダ及びピストンカップ各部の摩耗状況等の測定並びに摺動実験によるブレーキオイル漏れの有無を調査したところ、新品時の規格許容範囲内の部分が多く、規格を外れる部分も新品時の規格許容範囲を著しく超えるものではなかった事実及び該ホイールシリンダ、ピストン及びピストンカップを本件事故当時同様通常使用の状態にセットしての作動回数七四〇〇回、作動時間約一六時間の摺動実験ではオイル漏れが生じなかった事実、③マスターシリンダ内にはブレーキオイルが残存しておらず、左前輪及び右後輪の前後のホイールシリンダに接続するブレーキパイプをそれぞれ前後のホイールシリンダへの分岐点の手前(マスターシリンダ寄り)約一〇センチメートルの箇所で切断したところいずれも四、五滴のブレーキオイルが流れ出たのみであり、左後輪のブレーキパイプを同様箇所で切断したがブレーキオイルの流出はなく、更にホイールシリンダの手前約七センチメートルの箇所でパイプを切断したがブレーキオイルの流出はなく、そのうえ同車輪前後のホイールシリンダの内部にもブレーキオイルがなかったが(この事実からみて、本件事故後左後輪が空転中に同車輪ホイールシリンダからのオイル漏れ(その量は不明)があったことは確実と考えられる)、「ブレーキペダルの踏み込みを繰り返すうちに該ホイールシリンダ内壁とピストンカップ外壁の各損傷箇所からブレーキオイルが徐々に流出し、ブレーキオイルが減少したためホイールシリンダ内の加圧ができなくなり、その結果ブレーキが効かなくなったもの」とすると、少くともマスターシリンダにブレーキオイルがなくなった段階においてブレーキが効かなくなったはずであるから、その段階ではマスターシリンダから先のブレーキパイプ及びホイールシリンダ内部にはブレーキオイルが充満していたはずで、その後はブレーキペダルを踏んでも圧力が加わらないので該ホイールシリンダ損傷箇所からのブレーキオイル漏れはなく、ブレーキパイプ及びホイールシリンダ内部にブレーキオイルが残存していなければならないはずであるのに、本件車両は、左後輪のブレーキパイプにも、同車輪の前後のホイールシリンダの内部にもブレーキオイルがなくなっていた事実を合理的に説明できないこと、④また同様に、左後輪の前側のホイールシリンダの内部には異常がなく、他方後側のホイールシリンダの内部壁面には指で触れて「ざらざら」した箇所があり、ピストンカップにも傷があったのであるから、ブレーキペダルの踏み込みを繰り返すうちにこの後側のホイールシリンダの内壁とピストンカップ外壁の各損傷箇所からブレーキオイルが徐々に流出し、ブレーキオイルが減少したためホイールシリンダ内の加圧ができなくなりその結果ブレーキが効かなくなったものとすると、ホイールシリンダ内部に異常がなかった前側のホイールシリンダの内部にもブレーキオイルが残存していなかった事実を合理的に説明できないこと、⑤ブレーキペダルの踏み込みを繰返す都度左後輪のホイールシリンダから加圧分に相当するブレーキオイルが漏れ出したものとすると、左後輪のみのブレーキが効かないことになり、ハンドル操作に異常が生じたはずであるのに、本件事故発生直前まで亡将之はヘアピンカーブをも適切に走行し、ハンドル操作に異常を生じていなかったこと、⑥本件車両が露天駐車で保管され、梅雨期を経過したこと等からブレーキオイルに多量の水分が混入し、その結果ブレーキオイルの沸点が低下していたところへ、最高気温が三〇度を超える真夏の炎天下、亡将之が積載限度の四屯を積載したうえ助手席に二人を同乗させて、舗装道路を長距離連続運転したうえで急勾配のカーブの多い坂道を上った後、急勾配のカーブの非常に多い坂道をギヤを第二速にセットしてブレーキを休息させることなく頻繁にブレーキをかけながら走行したため、ブレーキドラムに発生した高温の摩擦熱がブレーキ機構を通じてブレーキオイルに伝わった結果、ブレーキオイルが異常に高温化されて蒸気化が起るいわゆるベーパーロック現象ないしその前駆現象が発生したためブレーキが効かなくなった可能性も否定できないこと(この場合には左後輪のホイールシリンダからブレーキオイルが漏れ出たのは、多量の水分が混入し劣化したブレーキオイルが高温化に伴い粘性を失い漏れやすくなったところへ、本件事故後本件車両が暴走後谷川の岩石に衝突して停止した後左後輪のみが空転していた間に、その空転時に生じた異常な振動が影響してブレーキオイルが漏れ出たものと考えざるをえないが、このように考えると、右①ないし⑤の各事実を一応無難に説明することができるけれども、本件事故後一五分ないし三〇分の間に約七〇〇ccのブレーキオイルの大部分が漏れ出てしまったとは考え難いし、リザーブタンク中のブレーキオイルまで粘性を失う程高温化されるとも考え難いので、このように断定することも困難である)等の諸事情を考え併せるとき、第一の考えを採用するにはいまひとつ証拠に不足するところがあるといわざるをえず、結局、当裁判所としては第一の考えを事実と認めるに足りる証拠はないというほかはない。すなわち、当裁判所としては、前記事実関係を総合して考えるとき、①ブレーキペダルの踏み込みを繰り返すうちに本件車両左側後輪ホイールシリンダから極く少量ずつのブレーキオイルの漏出(その都度のブレーキの効き工合に影響を及ぼさない程度の漏出)があったであろうこと、②本件車両のブレーキが効かなくなり本件事故が発生した後、本件車両が暴走して谷川の岩石に衝突して停止したもののその後約一五分ないし三〇分間本件車両のヂーゼルエンジンが作動を継続し、後輪は回転を継続していた間に(ブレーキペダルの踏み込みがない状態の間に)左側後輪ホイールシリンダからのブレーキオイルの漏出があったであろうこと、を推認することができるけれども、ブレーキが効かなくなった時点において、リザーブタンク内を含めてブレーキオイルがどの程度残存していたかを確定することのできる証拠資料がないため、ブレーキが効かなくなった原因が、ホイールシリンダ内の加圧ができない程度にブレーキオイルが減少したためなのか、ブレーキオイルはホイールシリンダ内の加圧には不足はなかったが、フェード現象またはベーパーロック現象等の他の原因が生じたためなのか、そのいずれであるかを確定できない結果(そのいずれか一方を否定するに足りる証拠もない)、結局、第一の考えの採用に踏み切ることができないのであるが、本件事故に関する全証拠を検討した結果では、原告長谷部が分解整備をしなかったために見逃した左後輪ホイールシリンダの摩耗・損傷箇所からブレーキオイルが徐々に漏出し、その結果ブレーキオイルの必要量に不足を来たしてブレーキが効かなくなったため本件事故が発生した(そして、本件事故後ヂーゼルエンジン停止までの一五分ないし三〇分間後輪が回転している間に、残余のブレーキオイルの一部が該ホイールシリンダの摩耗・損傷箇所から漏出した)との事実、すなわち原告長谷部の過失致死責任を肯定する事実が、最も真実である可能性が高い事実であると認められ、右捜査担当警察官がそれを真実と確信したことはもっともであり、そのように信じたことに十分の理由がある。

三  本件警察発表の内容中には原告らの名誉・信用を毀損する事実が含まれていることは明らかであるけれども、一般に、捜査機関による捜査中の事件に関する公式発表が人の名誉・信用を毀損するような事実を含んでいる場合であっても、それが公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合であり、かつ摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右発表には違法性がなく不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その発表者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右発表には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である(昭和四一年六月二三日最高裁判所第一小法廷判決民集二〇巻五号一一一八頁参照)。これを本件についてみると、前項認定のとおり、本件警察発表は、交通事故が大きな社会問題となっている時代的背景をふまえて、激増・多発する死傷事故に直結する極めて危険度の高い民間不正車検の追放をめざすとともに、事故防止に関する国民的意識を高め、ひいては交通事故の発生を防止する目的でされたものであるから、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合であることは明らかである。そして、本件警察発表中、本件事故原因が本件車両の摩耗したホイールシリンダからブレーキオイルが大量に流れ出たためにブレーキが効かなくなったことに基因する旨及びこれに関して原告長谷部に業務上過失致死罪の容疑がある旨の事実は、右事実を確定的に証明するに足りる十分な証拠があるとはいい難いけれども、本件警察発表をした警察官においてこれを真実と信ずるについて相当な理由があると認められるし、また、本件警察発表中のその余の事実についてはいずれも真実と認められるから、結局、本件警察発表は、違法性を欠くか、または、故意もしくは過失を欠くものであって、原告らに対する不法行為を構成しないといわざるをえない。

四  よって、原告らの被告に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 庵前重和 裁判官 大津卓也 田島純藏)

<以下省略>

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